アマデウス観てきましたー!
前日に松本幸四郎さんの情熱大陸を見たばかりだったのでタイムリー観劇。
なうぇすとTやブラブラパーカーで稽古する照史くん愛しかったナー
平日昼公演とあってかnotジャニヲタの方も多く、Twitterで心配していたようなマナー違反も特に見受けられませんでした。
真鳥くんが来てたみたい!同期愛!
ていうわけでザックリ感想を。
以下ネタバレ含みます。
※当方はアマデウス舞台はおろか映画も観たことないアマデウスど素人です。。
舞台中央に車椅子。そこにいつの間にやら幸四郎さんが座っておられて、びっくりした、、
基本的にサリエーリの語りで物語が進むんですけどまあ幸四郎さんのセリフ量のすごいこと。
すいません、ほとんど前情報なしで行ったので…もう語りがすごくて、初めからグッと引き込まれました。
声色、仕草、存在感。
何一つ無駄のない、みすぼらしい姿をしていても美しいお芝居で。
なんかもう、え、こんなすごい舞台にジャニーズWESTのメンバーが??光栄すぎでは??と百万回目の感想。
物語としては、謎に包まれたアマデウス・モーツァルトの死について、32年後になってサリエーリが突然「自分が殺した」と告白、時を遡りサリエーリとアマデウスの歩みを語り、なぜ今サリエーリが告白したのかまでを明かすというもの。
わたしも歴史はあんまり得意じゃないんですけど、ようはもしもの話ですね。
サリエーリによるアマデウス暗殺説は囁かれていたものの、史実的にははっきりと否定していたようですので。
70を超える老いて病んだサリエーリから、ローブを脱いで一気に若い頃を演じる幸四郎さんの転換力がまずすごかった。。
声がちゃんと若いの。びっくりするよね、、
宮廷に仕える音楽家サリエーリは実力を十分認められていたんだけど、そこへ天才・神童と呼ばれるモーツァルトが。
これがまーお下品で卑猥なんだわ(笑)
モーツァルトといえば私は小学生の頃にマンガの伝記物で読んだくらいで、確かそこにもなんか子どものような性格だったとは書いていた気がするけど子供向けにそこまで猥褻なこと描けないですもんね(笑)
もー恋人のコンスタンツェとそこまでできるかってくらい下品で卑猥なやりとり(笑)
本当、子どものような人。
それを我らが桐山照史がまあ見事に演じていたわけですよ!!
照史くんすごいな!!!
もーめっちゃ笑ったわ!!!
あんだけお下品なこと言っといても、コンスタンツェがほっとけない、かわいい人と思うのがめちゃめちゃわかるような茶目っ気でさすがでした。
下品なのに品があるみたいな。無線LANケーブルみたいなこと言ってすいません
ていうか、また演技うまくなったね?!
照史くんの舞台といえば私が見たのはまだブラブラのみで、その時もすごいなと思ったんだけれど、さらに磨かれてた。
私、照史くんの演技自体は昔から好きだったんですけど、「ザ・舞台演技」みたいな不自然な間を取ったり表情を作ったりする時があって、そこはちょっと苦手だったんです。
それが今回は全く気にならなくて。
情熱大陸見たからかもだけど、人は句読点でしゃべらないとか、自分はちゃんとわかってるんだけど客にそれを悟らせないとか、そういうところが徹底されてたのかなーと。
だから、余地とかなくて、引き込まれました。
モーツァルトの作風は、批判されたりウケなかったりするんだけど、でもサリエーリはちゃんと彼の才能をわかっていて、わかっているからこそ苦しくて。
どれだけやったって、彼には敵わない。
あんなに子どもで卑猥でだらしのない奴なのに、作曲には比べようのないくらいに長けている。
自分には書けない。
サリエーリの中で、アマデウスへの黒いものがどんどん大きくなっていって。
嫌がらせもしたし、コンスタンツェを誘惑したりもした。
しかしそれでもアマデウスはすごいものを書くし、コンスタンツェはなんだかんだ言ってもアマデウスを愛していた。
ところでここのさー!
廃れていくアマデウスの描写がね、サリエーリ幸四郎さんの語りをベースにアマデウス照史くんはチェンバロのところで色んな曲の指揮を振りながら、っていう、ただそれだけの短い描写なんですけど。
初めは生き生きと指揮を振っていたアマデウスから、だんだん目の色がなくなって、表情が虚ろになっていくの。
立ち位置も、お芝居の内容自体も、他の出演者との距離も、何一つ変わっていないはずなのに。
幸四郎さんの語りと照史くんの表情によって、なんかアマデウスの挫折というか絶望というか、どんどん孤独で寂しい方へと向かっていくのが痛いほど伝わってきて辛かった、、
晩年、廃れた生活をし、身も心も病んでいたアマデウスは、死神にも見える正体不明の男からレクイエムを書くよう依頼される。
病床にありながら、コンスタンツェにも逃げられ孤独にレクイエムを書くアマデウス。そこへ、アマデウスが語った正体不明の男に扮したサリエーリがやってくる。
「まだ書けていない」と気弱に語るアマデウスが作曲したレクイエムを見たサリエーリは、思わず譜面を破り、口にさえ含んでしまう。
これだけ落ちて、痛んで、病んでもなおアマデウスは自分には到底書けない曲を書いていた。
「死ね。目の前から消えてくれ。1人にしてくれ」
サリエーリの気持ちが痛いくらいわかって辛かった。
アマデウスは駆けつけたコンスタンツェの腕の中で息をひきとるんだけど、アマデウスに語りかけるコンスタンツェがまあまた、、切なくて、、
「ねぇ、わたしと一緒にいて楽しかったでしょ?」
もうさー、、
夫の死に際にこんなこと言える嫁になりたいよね(飛躍)
それは置いておいて、どれだけ貧しく辛い思いをしても、コンスタンツェはアマデウスを愛していたし、アマデウスもまたコンスタンツェとだからこんなにもまっすぐに音楽を書き続けられたんじゃないかと思った。
「きみを安っぽく見られるのは嫌なんだ」
どれだけコンスタンツェとお下劣なやりとりをしようとも、彼は彼女を愛し尊敬していたのだろうな。
「彼は優しくて、わたしを傷つけるようなことは言わなかった」
アマデウスの死後、レクイエムを初演したのがサリエーリだった。
死後も生き続けるアマデウスの音楽。
自身が生き続けても彼の音楽には敵わないとわかったサリエーリ。
サリエーリは、暗殺を告白をすることで、アマデウスと生き続けようと思ったのかな。
それってつまり、アマデウスの実力を認め、敗北(っていう表現がふさわしくはないかもしれないけど)を認めることだよね。
音楽で名声を得ると神と契約したにも関わらず、アマデウスと出会うことで自分が凡人であること認めざるをえなかったサリエーリ。
誰より真面目に音楽に取り組んできたからこそ、アマデウスの音楽の素晴らしさがわかる。
ところで、アマデウスって、ただ天才というわけではなくて、彼もまたきちんと音楽に向き合っていたんだなとわかる場面がありました。
アマデウスがサリエーリを含むフリーメーソンの人たちと語らう場面があるんだけど、そこでアマデウスはバッハなどの音楽の素晴らしさを饒舌に語るの。
その知識量は、きちんと音楽に向き合い、努力し、学び続けた証拠だと思った。
彼は天才だけど、才能以上にしっかりと音楽を学んでいた。
それにサリエーリは気づいてしまったんじゃないかな。
彼の音楽がまぐれでない理由。
それは、まっすぐに音楽に向かい、学び、考えつくされた末に生み出されたものであったからなのだろうな。
生死の境を彷徨うアマデウスが乞うたのは、父親。
「パパー?」
「だっこして?」
「あの頃みたいにさ」
神童と呼ばれたモーツァルトも、人の子だったのだと。
父親にあちこちで演奏するよう連れられ、時には目隠し演奏や、指一本での演奏をするようにも言われた。コンスタンツェとの結婚は、父の反対を理由に渋っていた。
アマデウスはまた、父親に認めてほしかったのかなと思った。
アマデウスは父親に自分自身を見てほしかったけれど、父親はアマデウスをとにかく天才として世に知らしめ稼ぎたかった。
それにはアマデウスが"神童"で居続けなければいけなかった。
アマデウスはおかげでたくさんの曲を書いたけど、ただ父親には、ちゃんと1人の子として愛してほしかったのではないか。
そしてその激情が、アマデウスがオペラで描きたい「愛」とか、そういうものの原動力になっていたりしたのかなあ。
全くまとまっていないけど(笑)
凡人であることへの恐怖と焦燥、父親へのコンプレックス、決して目には見えぬ愛の形。
いろんな要素が混じり合って、現在とは時代も国も状況も異なるはずなのに、会見で幸四郎さんも言っていた「全く他人事ではない」舞台だと思いました。
誰しも抱える光と闇、愛と孤独。他人への劣等感とそれに付随してついとってしまうそっけなく意地悪な行動。
認めたくても、どうにもこうにもいかない感情の波。
一生懸命物事と向き合うからこその絶望感や挫折。
18世紀を舞台にしながら、描く内容は、いつの時代も変わらず人間が人間である故に抱える苦悩であるなあと思いました。
素人なのでトンチンカンなこと言ってるかもしれません(笑)
舞台自体、これだけの内容を含みながら、冒頭からそれこそ音楽のように一度も止まることなく流れるようにお芝居が進んでいくのがとても新鮮で、そして片時も現実を感じさせることがないような作りで、引き込まれました。
一人ひとりのお芝居が素晴らしいのはもちろん、舞台全体がひとつの生き物としてうごめいているようにさえ見えて、その全部が計算しつくされた上にあることがわかります。
舞台後、お隣の方が声をかけてくれたのだけれど、照史くんどんどん良くなってますって。
すごいなー。
照史くんのすごいところは、うまい人だから最初からもちろんある一定のラインに到達はしてるんだけど、そこからさらにブラッシュアップしていくところだと思う。
ブラブラの時もそうだったけど、まあ当たり前なんだけどWSとか今回でいえば情熱大陸とかで見る公開稽古とはもう全然違うお芝居をするのね。
あれだけバラエティ番組や歌番組、レコーディング、雑誌の撮影、web連載の更新とか色んな仕事をしながら、役を作り上げ続けるって、なんかもう平凡な私には想像もつかない(笑)
あとはやっぱり、私はジャニーズWESTの生のお芝居が大好きだなあと思いました。
みんな演技が上手い人だから、もちろんネットフリックスの全員ドラマとかも嬉しいのだけれど。
全員が全員、役をもらうとめちゃめちゃ強くなる人たちだから、そのエネルギーを目の前で感じとれる舞台もやっぱり大好きだな。
これから忙しくなっても、年1くらいは誰かに舞台に出てほしいなー。
売れたらそれこそチケット確保も大変だし、ファン層も広がるからマナーのことも大変になってくると思うけど、、今回みたいに舞台を作り続ける方のお芝居に呼ばれてほしいなとも思います。
今回ほんとマナーのこと言われてるなぁ。
なんでかなーと思うけど、でもアマデウスが初めての外部舞台鑑賞って人も多いのだろうな。
だからそれこそ、初めての人がこれで舞台っていいなって思ってもらえて、マナーのこととか自主的に調べるようになればいいんだろうけど。
幸四郎さんは、スタッフさんは、そこまで見据えて照史くんを選んでくれたのかなぁ。
どうか今回で、やっぱジャニーズ呼ぶのは違うなって思って欲しくはないなぁ。
きっと照史くんの演技を見ていたらそうはならないとは思いますけどね。
でも一部の人でもマナーが悪ければ、全体と見なされる世の中だから。
タレントに恥じないファンでありたいなと改めて思いました。
あー!照史くんすごいなぁ。。
濵田くんも!!お願いします!!
大和三銃士の再演諦めてないので、ぜひ大阪でやってほしい。。
大和三銃士でなくても、殺陣のある舞台が観たいぜ!
よろしくお願いします!
前日に松本幸四郎さんの情熱大陸を見たばかりだったのでタイムリー観劇。
なうぇすとTやブラブラパーカーで稽古する照史くん愛しかったナー
平日昼公演とあってかnotジャニヲタの方も多く、Twitterで心配していたようなマナー違反も特に見受けられませんでした。
真鳥くんが来てたみたい!同期愛!
ていうわけでザックリ感想を。
以下ネタバレ含みます。
※当方はアマデウス舞台はおろか映画も観たことないアマデウスど素人です。。
舞台中央に車椅子。そこにいつの間にやら幸四郎さんが座っておられて、びっくりした、、
基本的にサリエーリの語りで物語が進むんですけどまあ幸四郎さんのセリフ量のすごいこと。
すいません、ほとんど前情報なしで行ったので…もう語りがすごくて、初めからグッと引き込まれました。
声色、仕草、存在感。
何一つ無駄のない、みすぼらしい姿をしていても美しいお芝居で。
なんかもう、え、こんなすごい舞台にジャニーズWESTのメンバーが??光栄すぎでは??と百万回目の感想。
物語としては、謎に包まれたアマデウス・モーツァルトの死について、32年後になってサリエーリが突然「自分が殺した」と告白、時を遡りサリエーリとアマデウスの歩みを語り、なぜ今サリエーリが告白したのかまでを明かすというもの。
わたしも歴史はあんまり得意じゃないんですけど、ようはもしもの話ですね。
サリエーリによるアマデウス暗殺説は囁かれていたものの、史実的にははっきりと否定していたようですので。
70を超える老いて病んだサリエーリから、ローブを脱いで一気に若い頃を演じる幸四郎さんの転換力がまずすごかった。。
声がちゃんと若いの。びっくりするよね、、
宮廷に仕える音楽家サリエーリは実力を十分認められていたんだけど、そこへ天才・神童と呼ばれるモーツァルトが。
これがまーお下品で卑猥なんだわ(笑)
モーツァルトといえば私は小学生の頃にマンガの伝記物で読んだくらいで、確かそこにもなんか子どものような性格だったとは書いていた気がするけど子供向けにそこまで猥褻なこと描けないですもんね(笑)
もー恋人のコンスタンツェとそこまでできるかってくらい下品で卑猥なやりとり(笑)
本当、子どものような人。
それを我らが桐山照史がまあ見事に演じていたわけですよ!!
照史くんすごいな!!!
もーめっちゃ笑ったわ!!!
あんだけお下品なこと言っといても、コンスタンツェがほっとけない、かわいい人と思うのがめちゃめちゃわかるような茶目っ気でさすがでした。
下品なのに品があるみたいな。無線LANケーブルみたいなこと言ってすいません
ていうか、また演技うまくなったね?!
照史くんの舞台といえば私が見たのはまだブラブラのみで、その時もすごいなと思ったんだけれど、さらに磨かれてた。
私、照史くんの演技自体は昔から好きだったんですけど、「ザ・舞台演技」みたいな不自然な間を取ったり表情を作ったりする時があって、そこはちょっと苦手だったんです。
それが今回は全く気にならなくて。
情熱大陸見たからかもだけど、人は句読点でしゃべらないとか、自分はちゃんとわかってるんだけど客にそれを悟らせないとか、そういうところが徹底されてたのかなーと。
だから、余地とかなくて、引き込まれました。
モーツァルトの作風は、批判されたりウケなかったりするんだけど、でもサリエーリはちゃんと彼の才能をわかっていて、わかっているからこそ苦しくて。
どれだけやったって、彼には敵わない。
あんなに子どもで卑猥でだらしのない奴なのに、作曲には比べようのないくらいに長けている。
自分には書けない。
サリエーリの中で、アマデウスへの黒いものがどんどん大きくなっていって。
嫌がらせもしたし、コンスタンツェを誘惑したりもした。
しかしそれでもアマデウスはすごいものを書くし、コンスタンツェはなんだかんだ言ってもアマデウスを愛していた。
ところでここのさー!
廃れていくアマデウスの描写がね、サリエーリ幸四郎さんの語りをベースにアマデウス照史くんはチェンバロのところで色んな曲の指揮を振りながら、っていう、ただそれだけの短い描写なんですけど。
初めは生き生きと指揮を振っていたアマデウスから、だんだん目の色がなくなって、表情が虚ろになっていくの。
立ち位置も、お芝居の内容自体も、他の出演者との距離も、何一つ変わっていないはずなのに。
幸四郎さんの語りと照史くんの表情によって、なんかアマデウスの挫折というか絶望というか、どんどん孤独で寂しい方へと向かっていくのが痛いほど伝わってきて辛かった、、
晩年、廃れた生活をし、身も心も病んでいたアマデウスは、死神にも見える正体不明の男からレクイエムを書くよう依頼される。
病床にありながら、コンスタンツェにも逃げられ孤独にレクイエムを書くアマデウス。そこへ、アマデウスが語った正体不明の男に扮したサリエーリがやってくる。
「まだ書けていない」と気弱に語るアマデウスが作曲したレクイエムを見たサリエーリは、思わず譜面を破り、口にさえ含んでしまう。
これだけ落ちて、痛んで、病んでもなおアマデウスは自分には到底書けない曲を書いていた。
「死ね。目の前から消えてくれ。1人にしてくれ」
サリエーリの気持ちが痛いくらいわかって辛かった。
アマデウスは駆けつけたコンスタンツェの腕の中で息をひきとるんだけど、アマデウスに語りかけるコンスタンツェがまあまた、、切なくて、、
「ねぇ、わたしと一緒にいて楽しかったでしょ?」
もうさー、、
夫の死に際にこんなこと言える嫁になりたいよね(飛躍)
それは置いておいて、どれだけ貧しく辛い思いをしても、コンスタンツェはアマデウスを愛していたし、アマデウスもまたコンスタンツェとだからこんなにもまっすぐに音楽を書き続けられたんじゃないかと思った。
「きみを安っぽく見られるのは嫌なんだ」
どれだけコンスタンツェとお下劣なやりとりをしようとも、彼は彼女を愛し尊敬していたのだろうな。
「彼は優しくて、わたしを傷つけるようなことは言わなかった」
アマデウスの死後、レクイエムを初演したのがサリエーリだった。
死後も生き続けるアマデウスの音楽。
自身が生き続けても彼の音楽には敵わないとわかったサリエーリ。
サリエーリは、暗殺を告白をすることで、アマデウスと生き続けようと思ったのかな。
それってつまり、アマデウスの実力を認め、敗北(っていう表現がふさわしくはないかもしれないけど)を認めることだよね。
音楽で名声を得ると神と契約したにも関わらず、アマデウスと出会うことで自分が凡人であること認めざるをえなかったサリエーリ。
誰より真面目に音楽に取り組んできたからこそ、アマデウスの音楽の素晴らしさがわかる。
ところで、アマデウスって、ただ天才というわけではなくて、彼もまたきちんと音楽に向き合っていたんだなとわかる場面がありました。
アマデウスがサリエーリを含むフリーメーソンの人たちと語らう場面があるんだけど、そこでアマデウスはバッハなどの音楽の素晴らしさを饒舌に語るの。
その知識量は、きちんと音楽に向き合い、努力し、学び続けた証拠だと思った。
彼は天才だけど、才能以上にしっかりと音楽を学んでいた。
それにサリエーリは気づいてしまったんじゃないかな。
彼の音楽がまぐれでない理由。
それは、まっすぐに音楽に向かい、学び、考えつくされた末に生み出されたものであったからなのだろうな。
生死の境を彷徨うアマデウスが乞うたのは、父親。
「パパー?」
「だっこして?」
「あの頃みたいにさ」
神童と呼ばれたモーツァルトも、人の子だったのだと。
父親にあちこちで演奏するよう連れられ、時には目隠し演奏や、指一本での演奏をするようにも言われた。コンスタンツェとの結婚は、父の反対を理由に渋っていた。
アマデウスはまた、父親に認めてほしかったのかなと思った。
アマデウスは父親に自分自身を見てほしかったけれど、父親はアマデウスをとにかく天才として世に知らしめ稼ぎたかった。
それにはアマデウスが"神童"で居続けなければいけなかった。
アマデウスはおかげでたくさんの曲を書いたけど、ただ父親には、ちゃんと1人の子として愛してほしかったのではないか。
そしてその激情が、アマデウスがオペラで描きたい「愛」とか、そういうものの原動力になっていたりしたのかなあ。
全くまとまっていないけど(笑)
凡人であることへの恐怖と焦燥、父親へのコンプレックス、決して目には見えぬ愛の形。
いろんな要素が混じり合って、現在とは時代も国も状況も異なるはずなのに、会見で幸四郎さんも言っていた「全く他人事ではない」舞台だと思いました。
誰しも抱える光と闇、愛と孤独。他人への劣等感とそれに付随してついとってしまうそっけなく意地悪な行動。
認めたくても、どうにもこうにもいかない感情の波。
一生懸命物事と向き合うからこその絶望感や挫折。
18世紀を舞台にしながら、描く内容は、いつの時代も変わらず人間が人間である故に抱える苦悩であるなあと思いました。
素人なのでトンチンカンなこと言ってるかもしれません(笑)
舞台自体、これだけの内容を含みながら、冒頭からそれこそ音楽のように一度も止まることなく流れるようにお芝居が進んでいくのがとても新鮮で、そして片時も現実を感じさせることがないような作りで、引き込まれました。
一人ひとりのお芝居が素晴らしいのはもちろん、舞台全体がひとつの生き物としてうごめいているようにさえ見えて、その全部が計算しつくされた上にあることがわかります。
舞台後、お隣の方が声をかけてくれたのだけれど、照史くんどんどん良くなってますって。
すごいなー。
照史くんのすごいところは、うまい人だから最初からもちろんある一定のラインに到達はしてるんだけど、そこからさらにブラッシュアップしていくところだと思う。
ブラブラの時もそうだったけど、まあ当たり前なんだけどWSとか今回でいえば情熱大陸とかで見る公開稽古とはもう全然違うお芝居をするのね。
あれだけバラエティ番組や歌番組、レコーディング、雑誌の撮影、web連載の更新とか色んな仕事をしながら、役を作り上げ続けるって、なんかもう平凡な私には想像もつかない(笑)
あとはやっぱり、私はジャニーズWESTの生のお芝居が大好きだなあと思いました。
みんな演技が上手い人だから、もちろんネットフリックスの全員ドラマとかも嬉しいのだけれど。
全員が全員、役をもらうとめちゃめちゃ強くなる人たちだから、そのエネルギーを目の前で感じとれる舞台もやっぱり大好きだな。
これから忙しくなっても、年1くらいは誰かに舞台に出てほしいなー。
売れたらそれこそチケット確保も大変だし、ファン層も広がるからマナーのことも大変になってくると思うけど、、今回みたいに舞台を作り続ける方のお芝居に呼ばれてほしいなとも思います。
今回ほんとマナーのこと言われてるなぁ。
なんでかなーと思うけど、でもアマデウスが初めての外部舞台鑑賞って人も多いのだろうな。
だからそれこそ、初めての人がこれで舞台っていいなって思ってもらえて、マナーのこととか自主的に調べるようになればいいんだろうけど。
幸四郎さんは、スタッフさんは、そこまで見据えて照史くんを選んでくれたのかなぁ。
どうか今回で、やっぱジャニーズ呼ぶのは違うなって思って欲しくはないなぁ。
きっと照史くんの演技を見ていたらそうはならないとは思いますけどね。
でも一部の人でもマナーが悪ければ、全体と見なされる世の中だから。
タレントに恥じないファンでありたいなと改めて思いました。
あー!照史くんすごいなぁ。。
濵田くんも!!お願いします!!
大和三銃士の再演諦めてないので、ぜひ大阪でやってほしい。。
大和三銃士でなくても、殺陣のある舞台が観たいぜ!
よろしくお願いします!
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