きみはわたしのとくべつー重岡大毅くんという存在


溺れるナイフ観てきました。
ネタバレになる感想はまた後日書けるといいな…。


とりあえず、映画を観て重岡さんについての記事が書きたくなったので。



ジャニーズWEST、重岡大毅くん。
彼は私の中で、なんだか特別な存在だ。


同い年で、私が本格的に関西に興味を持つきっかけとなった張本人。
2013年の少年倶楽部in大阪で、大勢の関西Jr.の中で堂々とセンターを張る彼の、圧倒的な存在感と繊細で強い振る舞いに胸をぎゅうっと掴まれた。



彼は知れば知るほど奥が深くて、でも掴みきれない、不思議な人。




可愛いと思ったら小学生のような無邪気さを感じる。無邪気だと思ったらどこか影を感じさせる憂いがある。
憂いがあると思ったら、仙人のような達観した言動を見せたりもする…
そしてときに、妙にリアルな恋愛観や年齢相応の男の振る舞いを見せる。
ステージでは全力でアイドルとしてパフォーマンスもする。




そのどれもが彼なのだけれど、どれが素なのか私にはわからない。もしかしたらどれも素かもしれないし、どれも素ではないかもしれない。
それくらい彼はいろんな顔を見せてくれるし、掴みきれない人なのだ。
本人が七色しげちゃんを自称するだけある。(笑) 引き出しや扉を無数に、無限に持つ人なのだと思う。






そんな彼を見ていたファンの誰もが「重岡くんの顔つきが変わった」と感じた一年前に、溺れるナイフは撮影されていた。




今回映画を見て、監督や見た人が「大友は素の重岡大毅」「素を大切にした」と話すのを見たけど、私は必ずしも今回演じた大友が重岡さんの素だとは言い切れないなと思った。
ただ、七色しげちゃんの中の引き出しにある部分ではあったと思っていて、だからこそキャスティングされたのだとも思った。そういう意味では、大友は重岡さんであり、重岡さんが大友だった。




重岡さんの演技をこれまで見ていて、表情や台詞がとても自然でうまいと思っていたけど、それでもどこか、壁一枚隔てたところに役を感じることが多かった。


それが今回、大友はそこにいた。すぐ近く、目の前にいて、劇場の誰もがきっと大友を乞うた(と思う)。
たまたま今回がそういう役だった、そこを求められたというならそこまでだけど、今まで彼に感じていた壁のようなものが、スッと消えて、大友として身近にいるように感じた。


器用なグループの中でも特に自然だった重岡さんの演技。それが、まだまだ磨いていけるものなのだと、この作品で思い知った。現にあの夏、彼はこの映画でそれを遂げ、さらに顔つきまでが変わったのだ。




一人の男の子として、大好きな女の子にまっすぐに向き合うこと。それを、20代となった彼が十二分に演じられたことに、とても可能性を感じた。


それと同時に、彼は他のどんな役でも、きっともう壁を隔てることなく演じられる可能性を持っているのだとも思った。






2013年、先輩からバトンを受け取る形でバラエティ番組に出てニコニコと頷いていた男の子は、3年後とても強い存在感で、今アイドルをしている。映画に出ている。




10年前、ダンスも歌も知らずに芸能界に飛び込み、大勢のバックダンサーの一人から、ユニットのメンバー、関西Jr.のセンター、そしてデビューへと登りつめた彼は、今映画の中で輝きを放ち、まだまだ大きく羽ばたく可能性を秘めている。






私は、この男の子に勝ちたい、せめて見合う努力をしたいと時々思うことがある。
溺れるナイフじゃないけど、重岡さんと知り合うことなんてきっとないけど、彼は私にとってそう思わせる力を持つ、とくべつな存在なのです。










というわけで勘違いクソポエマー節炸裂しました


でもそれくらい重岡大毅って人は魅力的なんスよ!!!
重岡大毅という存在を知らずに溺れるナイフ観たかった!!溺れるナイフで初めましてしたかった!!!!!


日本全国津々浦々、全国民が重岡大毅を好きになればいいのに!!!

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