※前提として私は映画に関して全く知識なし、ジャニーズWESTファン、菅田将暉のミーハーなファンです
というわけで映画・溺れるナイフ観てきました。ネタバレ注意。
ちなみにもう1回ほど観に行く予定があります。
原作はちょろっと立ち読みした程度で、ラストとかも知りません。だいたいのストーリーだけ入れて観ました。
ざっくり感想は…うーん。
好きじゃない、わけじゃないけど。もったいない!って思うことが多かった感じですかね。
面白いとか面白くないとか、そういう一言で感想を語れない映画です。
例えるなら、半ば強引に連れて行かれた美術館にある、人気のある作者なんだろうけど自分は詳しく知らないし、何を表してるのかわからないし、好きかと言われるとわからないけど、なんだかずっと見てしまう、帰った後もずっと脳裏に残る絵を見たときのような。感覚。
もちろん観ながらいろいろ考えました。
観ながら自分の現在や学生時代を滑稽に思ったし、一方で、大人になった私からは映画の中の彼らもまた滑稽に思えたり。
考えすぎて脳が疲弊して、終わって家帰ってご飯食べてても頭の中には映画のシーンがぐるぐる回って、ぼーっとしちゃいました。そういう意味ではなんか、この映画に「してやられた」のかもしれません。
特にラストあたりは本当に???となってしまって。
ただひとつ、たぶん、監督は『溺れるナイフ』という作品がとにかく好きで、自分の中にイメージがあって、それを求め続けて、あの2時間になったのだと思います。
その静かな情熱だけは痛いくらい伝わってきました。
ただ、やっぱり元々17巻もある漫画を2時間で「ストーリーを描く」ことについては難しいものがあるんだなと思いました。
なので原作を全く知らない人にはちょーっと不親切な映画かと。
コウちゃんがその地でどういう存在なのか、映画だけでは正直なぜそんなに特別な存在なのか、どこまで特別なのか、どんな生き方をしてきて今があるのか、わからなかったなと。
だから、夏芽とそこまで惹かれあう所以がわからないというか。
夏芽もまた、どれくらいの芸能生活をしていたのかとか、今までの経験とか、そういうのがわからなくて、夏芽という人物を飲み込むまでにはちょっと時間がかかりました。
逆に、脇を固めるカナや大友はわかりやすいというか。それはたぶん、彼らが観る人(わたし)に親しみのあるタイプの人物だということも大きいとは思うんだけど。
だからこそ主人公2人の描写をもう少し丁寧にしてもよかったんじゃないかなって。
ただねー!
どれだけ説明が足りなかろうと、彼らが間違いなく異彩を放つ人物だという説得力を持たせることができるのは、菅田将暉と小松菜奈だったからだと思います。
彼らはすごい。彼らだから、逆に思い切って説明を省くことができるのかも。
そういうものの前ではストーリーなんて実は二の次で、この映画は菅田将暉を、小松菜奈を、そして重岡大毅や上白石萌音を、彼らを求める人たちと、彼らを初めて見る人たちに、これでもかと魅力的に踊らせた作品なのだと感じます。
そのための原作は、ありきたりのキラキラ少女漫画ではダメで、人間の強さも弱さも、美しさも醜さも脆さもむき出しにした『溺れるナイフ』という作品でなければならなかったのだとも。
ところで、わたしの中学生時代は空前の携帯小説ブームでした。バイブルは「恋空」や「赤い糸」。
次々実写映画化され、人気俳優たちが演じ、それを観に行くことがひとつのステータスのようでした。
ストーリーはどれも浅くてだいたい同じ流れ。誰かが死んだり、妊娠してしまったり…でもそれが「泣ける恋愛」小説の条件であるように捉えられていって。
何も知らない中学生には、そういう「泣ける恋愛」が、困難に立ち向かう恋愛が、魅力的に思えたのだと思います。もしくはそういうストーリーを支持する流れに逆らえなかったのかも。
もし、わたしの中高生時代にこの映画『溺れるナイフ』に出会えていたなら。
きっと「よくわからない」と言いながらも、ずっと映画のシーンが頭によぎって、ふとしたときに思い出して、胸を締め付けたり、何かに突き動かされる感覚になったりしたかもしれないと思います。
細かいストーリーは抜きに、菅田将暉、小松菜奈、重岡大毅、上白石萌音が描く、胸を焦がすような青春が、胸を裂くような衝動が、この映画にはあると思いました。
東京でモデルをしていた夏芽が、片田舎で特別な存在感を放つコウちゃんに惹かれる。コウちゃんもまた、夏芽の輝きに一目を置く。2人でいれば最強だと思っていたのが、ある事件であっけなく散る。
困難の前には普通の中学生すぎなかったコウちゃん。輝きや華やかさを失った夏芽。普通の"田舎の子"へと堕ちていく2人。
一方でカナは垢抜け、おしゃれに、強気になっていく。大友は一途に夏芽を思い続け支えようとする。
辛い過去から目を背け、芸能活動から身を引き、大友と笑い合う平和な日々。
しかし、やがて華々しい場所、そしてコウを再び渇望するようになる。
そんな夏芽とコウちゃん、大友、カナに待つ運命とは…。
中高生時代に多くの人が感じる、特別な体験や存在を求める感覚、人とは違う何か、最強なもの、無敵なもの、根拠のない自信や勇気を、彼らを通して疑似体験するようで、痛かった。
もがいて苦しんで傷ついて、それでもなぜか、自分が思う眩しい方へ、特別な方へ、過激な方へと魂が求める感覚は、誰しも持っている、あるいは感じたことがあるのではないかと思います。
他人や世間が「こっちの方が幸せなのに」と言う方は「楽」かもしれないけど、それが必ずしも本人にとって「幸せ」とは限らない。
それが一方では羨ましく、一方では滑稽で無様。
コウや大友やカナがどうなったのか、狭い田舎や辛い過去から抜け出せたのかは、映画を観ただけではわかりませんでした。
ただ、田舎を脱することが幸せなのか、田舎で居続けることが幸せなのか、光を求めることが幸せなのか、平穏を求めることが幸せなのか。それは人それぞれで、それぞれに道はあるのだと思います。
ラストの、どれだけそのせいで傷ついても芸能界でひとつ成功をおさめた(と受け取れる)夏芽の表情は誇らしげで。そこには間違いなく田舎でのコウとの出会いがあったのだと感じます。
ところでジャニーズWESTのファンとしては、重岡さんの大友は本当に良かったなと思いました!
詳しくは前回の記事に書かせてもらったけど、重岡大毅という人が演技をする中で、魅力と技量を存分に引き出した作品となっているなと。
あと、同世代の菅田くんとこの作品で重岡さんが出会えたことは、大きな意味があると思った。
これからも2人の共演がありますように!
さて、私は映画そのものとは別に、この映画・溺れるナイフを取り巻く『現象のちぐはぐ感』がとても面白いと思っています。
人気少女漫画の実写化、監督は新進気鋭の若手女性、主題歌や挿入歌には清々しいほど所謂"サブカル"を感じるのに、プロモーションはイマドキの女子高生向けに携帯小説や服屋さんとのコラボ。
主演は今や引っ張りだこの菅田将暉に小松菜奈、脇を固めるのは人気上昇中の上白石萌音に、ジャニーズWESTの重岡大毅。
公式Twitterの更新はとてもこまめで、WSではキスシーンを推している。
どこを狙うのか、どこに向けたものなのか、もはやわからない。
結果としての傾向はあっても、当初ターゲットとなる層やタイプがまるで読めないこの「溺れるナイフを取り巻く現象」全て、私はとても面白かったのです。
私はエンターテイメントはこれでいいと思っています。発信する側に線引きなんていらなくて、受け手側が受け手なりの立場や考えで判断する感じ。
この映画を肯定しようが否定しようが、サブカル女子、JK、映画関係者、ジャニヲタ、原宿系、俳優ヲタ、ミーハー…まず色んな層のひとがそれぞれにこの映画に触れたことに意味がある気がする。
観終わった後、「なんか意味わからんかったー」と話していた女子高生すら私は羨ましかった。
この映画について考えなくてもいいくらい、彼女は今満たされているのだろうと思ったからです。言うなれば、無敵状態のときの夏芽やコウ側の子なのだと思う。
わたしはどっちかというとカナとか大友側だったからなー。というか大半の人はそうなのではないかな。
うん、よくわからない文章になってしまったけど。
とりあえずジャニーズWESTファン的には重岡大毅くんを大友役に選んでくれてありがとうございました!!!
というわけで映画・溺れるナイフ観てきました。ネタバレ注意。
ちなみにもう1回ほど観に行く予定があります。
原作はちょろっと立ち読みした程度で、ラストとかも知りません。だいたいのストーリーだけ入れて観ました。
ざっくり感想は…うーん。
好きじゃない、わけじゃないけど。もったいない!って思うことが多かった感じですかね。
面白いとか面白くないとか、そういう一言で感想を語れない映画です。
例えるなら、半ば強引に連れて行かれた美術館にある、人気のある作者なんだろうけど自分は詳しく知らないし、何を表してるのかわからないし、好きかと言われるとわからないけど、なんだかずっと見てしまう、帰った後もずっと脳裏に残る絵を見たときのような。感覚。
もちろん観ながらいろいろ考えました。
観ながら自分の現在や学生時代を滑稽に思ったし、一方で、大人になった私からは映画の中の彼らもまた滑稽に思えたり。
考えすぎて脳が疲弊して、終わって家帰ってご飯食べてても頭の中には映画のシーンがぐるぐる回って、ぼーっとしちゃいました。そういう意味ではなんか、この映画に「してやられた」のかもしれません。
特にラストあたりは本当に???となってしまって。
ただひとつ、たぶん、監督は『溺れるナイフ』という作品がとにかく好きで、自分の中にイメージがあって、それを求め続けて、あの2時間になったのだと思います。
その静かな情熱だけは痛いくらい伝わってきました。
ただ、やっぱり元々17巻もある漫画を2時間で「ストーリーを描く」ことについては難しいものがあるんだなと思いました。
なので原作を全く知らない人にはちょーっと不親切な映画かと。
コウちゃんがその地でどういう存在なのか、映画だけでは正直なぜそんなに特別な存在なのか、どこまで特別なのか、どんな生き方をしてきて今があるのか、わからなかったなと。
だから、夏芽とそこまで惹かれあう所以がわからないというか。
夏芽もまた、どれくらいの芸能生活をしていたのかとか、今までの経験とか、そういうのがわからなくて、夏芽という人物を飲み込むまでにはちょっと時間がかかりました。
逆に、脇を固めるカナや大友はわかりやすいというか。それはたぶん、彼らが観る人(わたし)に親しみのあるタイプの人物だということも大きいとは思うんだけど。
だからこそ主人公2人の描写をもう少し丁寧にしてもよかったんじゃないかなって。
ただねー!
どれだけ説明が足りなかろうと、彼らが間違いなく異彩を放つ人物だという説得力を持たせることができるのは、菅田将暉と小松菜奈だったからだと思います。
彼らはすごい。彼らだから、逆に思い切って説明を省くことができるのかも。
そういうものの前ではストーリーなんて実は二の次で、この映画は菅田将暉を、小松菜奈を、そして重岡大毅や上白石萌音を、彼らを求める人たちと、彼らを初めて見る人たちに、これでもかと魅力的に踊らせた作品なのだと感じます。
そのための原作は、ありきたりのキラキラ少女漫画ではダメで、人間の強さも弱さも、美しさも醜さも脆さもむき出しにした『溺れるナイフ』という作品でなければならなかったのだとも。
ところで、わたしの中学生時代は空前の携帯小説ブームでした。バイブルは「恋空」や「赤い糸」。
次々実写映画化され、人気俳優たちが演じ、それを観に行くことがひとつのステータスのようでした。
ストーリーはどれも浅くてだいたい同じ流れ。誰かが死んだり、妊娠してしまったり…でもそれが「泣ける恋愛」小説の条件であるように捉えられていって。
何も知らない中学生には、そういう「泣ける恋愛」が、困難に立ち向かう恋愛が、魅力的に思えたのだと思います。もしくはそういうストーリーを支持する流れに逆らえなかったのかも。
もし、わたしの中高生時代にこの映画『溺れるナイフ』に出会えていたなら。
きっと「よくわからない」と言いながらも、ずっと映画のシーンが頭によぎって、ふとしたときに思い出して、胸を締め付けたり、何かに突き動かされる感覚になったりしたかもしれないと思います。
細かいストーリーは抜きに、菅田将暉、小松菜奈、重岡大毅、上白石萌音が描く、胸を焦がすような青春が、胸を裂くような衝動が、この映画にはあると思いました。
東京でモデルをしていた夏芽が、片田舎で特別な存在感を放つコウちゃんに惹かれる。コウちゃんもまた、夏芽の輝きに一目を置く。2人でいれば最強だと思っていたのが、ある事件であっけなく散る。
困難の前には普通の中学生すぎなかったコウちゃん。輝きや華やかさを失った夏芽。普通の"田舎の子"へと堕ちていく2人。
一方でカナは垢抜け、おしゃれに、強気になっていく。大友は一途に夏芽を思い続け支えようとする。
辛い過去から目を背け、芸能活動から身を引き、大友と笑い合う平和な日々。
しかし、やがて華々しい場所、そしてコウを再び渇望するようになる。
そんな夏芽とコウちゃん、大友、カナに待つ運命とは…。
中高生時代に多くの人が感じる、特別な体験や存在を求める感覚、人とは違う何か、最強なもの、無敵なもの、根拠のない自信や勇気を、彼らを通して疑似体験するようで、痛かった。
もがいて苦しんで傷ついて、それでもなぜか、自分が思う眩しい方へ、特別な方へ、過激な方へと魂が求める感覚は、誰しも持っている、あるいは感じたことがあるのではないかと思います。
他人や世間が「こっちの方が幸せなのに」と言う方は「楽」かもしれないけど、それが必ずしも本人にとって「幸せ」とは限らない。
それが一方では羨ましく、一方では滑稽で無様。
コウや大友やカナがどうなったのか、狭い田舎や辛い過去から抜け出せたのかは、映画を観ただけではわかりませんでした。
ただ、田舎を脱することが幸せなのか、田舎で居続けることが幸せなのか、光を求めることが幸せなのか、平穏を求めることが幸せなのか。それは人それぞれで、それぞれに道はあるのだと思います。
ラストの、どれだけそのせいで傷ついても芸能界でひとつ成功をおさめた(と受け取れる)夏芽の表情は誇らしげで。そこには間違いなく田舎でのコウとの出会いがあったのだと感じます。
ところでジャニーズWESTのファンとしては、重岡さんの大友は本当に良かったなと思いました!
詳しくは前回の記事に書かせてもらったけど、重岡大毅という人が演技をする中で、魅力と技量を存分に引き出した作品となっているなと。
あと、同世代の菅田くんとこの作品で重岡さんが出会えたことは、大きな意味があると思った。
これからも2人の共演がありますように!
さて、私は映画そのものとは別に、この映画・溺れるナイフを取り巻く『現象のちぐはぐ感』がとても面白いと思っています。
人気少女漫画の実写化、監督は新進気鋭の若手女性、主題歌や挿入歌には清々しいほど所謂"サブカル"を感じるのに、プロモーションはイマドキの女子高生向けに携帯小説や服屋さんとのコラボ。
主演は今や引っ張りだこの菅田将暉に小松菜奈、脇を固めるのは人気上昇中の上白石萌音に、ジャニーズWESTの重岡大毅。
公式Twitterの更新はとてもこまめで、WSではキスシーンを推している。
どこを狙うのか、どこに向けたものなのか、もはやわからない。
結果としての傾向はあっても、当初ターゲットとなる層やタイプがまるで読めないこの「溺れるナイフを取り巻く現象」全て、私はとても面白かったのです。
私はエンターテイメントはこれでいいと思っています。発信する側に線引きなんていらなくて、受け手側が受け手なりの立場や考えで判断する感じ。
この映画を肯定しようが否定しようが、サブカル女子、JK、映画関係者、ジャニヲタ、原宿系、俳優ヲタ、ミーハー…まず色んな層のひとがそれぞれにこの映画に触れたことに意味がある気がする。
観終わった後、「なんか意味わからんかったー」と話していた女子高生すら私は羨ましかった。
この映画について考えなくてもいいくらい、彼女は今満たされているのだろうと思ったからです。言うなれば、無敵状態のときの夏芽やコウ側の子なのだと思う。
わたしはどっちかというとカナとか大友側だったからなー。というか大半の人はそうなのではないかな。
うん、よくわからない文章になってしまったけど。
とりあえずジャニーズWESTファン的には重岡大毅くんを大友役に選んでくれてありがとうございました!!!
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