ジャニヲタになったら性格が変わった話


今日、駅に向かって線路沿いを歩いていたら、"撮り鉄"と思われる人たちがカメラを抱えて大勢待機していた。
ほとんど立派な大人だったが、その目は真剣でキラキラしていて、ただ電車が来るのをじっと待っていた。





「アイドルにキャーキャー言ってる人とかどうかしてる」
中学生の時の自分の発言。今でも忘れない。あの当時は本気でそう思っていたし、アイドル以外にもたくさんのことを否定していたし、それを声に出して言っていた。


私は人の好きなことを認められない子どもだった。


ちょっと言い訳になるが、父親がそういう人だった。今思えば、きっと子どもの育ち方を心配していたと思うのだが、とにかく父親は自分が好きなものか認めたもの以外を自分の子どもが好きだということを否定してきた。


マンガやドラマやゲームは馬鹿になるからダメ。そしてアイドルも、ろくに歌も歌えないのにニコニコしてちやほやされているだけの存在だと、聞いてもいないのに教えてくれた。


絵を描くのは昔父親もやっていたからよかった。クリスマスや誕生日にほしいものは聞かれず、教育上よしとされる玩具や分厚い活字の本が与えられた。


「本が好きだったもんね」
「このパズルが好きで低学年で都道府県を覚えたよね」
よく諭されるように両親からはそう言われたし、もちろんそれらは好きだった。でも、それは私が選んだのではなくて、与えられたものがそれしかなかったからそれをやるしかなかったのだし、好きになるしかなかった。


好きなもの、嫌いな(とされる)もの、中学生の頃までは、自分では選べなかった。
恥ずかしながら、着たい服すら選べなかった。修学旅行前、友だちに誘われてショッピングに行ったのに、選んだことがなかったから1人だけ何も買わずに帰ったことを思い出す。


周りで話題になった「ごくせん」や「花ざかりの君たちへ」も、馬鹿になるからと見せてはもらえなかった。特にごくせんは見ているのがバレて怒鳴られたことがある。
フィクションと現実の違いくらい分かっているのに。
私は友だちの家で録画を見せて貰った。
だいぶロスがあったから、その見せて貰っていた友だち以外とは話が合わなかった。


ただしラジオ(学校で作ったやつ(笑))だけは部屋でこっそり聴けたので、ある程度の流行りの曲とかはそこで拾えた。ラジオで関西Jr.の存在を知ったのもこの頃。




初めから自分で好きになって選んで、ということができるようになったのはアイドルを好きになった高校生からだと思う。


きっかけは受験勉強が終わり、塾もなく何もすることがなくなった春休み。父親が仕事で留守にする昼間、笑っていいとも!や、PC上にアップロードされている動画でバラエティやドラマを知った。


みんなが言ってたヘキサゴンってこれか、とか、学校へ行こうはV6が出てるのかーとか、SMAPってこの人たちだったんだとか。(私は2008年までSMAPが何人組か、慎吾ママとキムタク以外に誰がいるのか知らなかった)。


名前だけは友だちから聞いていた芸能人の顔がたくさん一致していって、とにかくいろんな話が聞けるのが楽しかった。
流行りも分かったし、みんなが真似していたギャグや歌も分かった。


色んなものが一気に広がったような気がして、友だちにも気軽に話せるようになった。今まで話したいことがなかった(自分だけしか知らない本とかラジオの話はあったけど)ので、共通の話題があることがとにかく嬉しかった。


ただ、何せ「好きなものについて話す」ことに慣れていなかった私は、高校生になってすぐの時にも色々とやらかした。というのは、話し方がとにかく「否定」。
家でテレビを見ている時の父親の感想が「こいつ歌下手やな」「こんなん見てたらアホになるやろ」というものばかりだったので、褒めたり認めたりする会話をしたことがなかったのだった。


「○○が好きなの?!どこがいいの??」「××って何が面白いのかわからないよね」そんなことばかり言っていた気がする。というか言ってたよねって指摘された、最近。ほんとあの時はごめんなさい。








転機は、嵐にハマったこと。
初めは自分がよりにもよってアイドルにハマるなんて、と認められず、半分馬鹿にするような気持ちで見ていたのに、次第に認めざるをえなくなった。
テレビを見たいと言ったら親がなんて言うかわからないので(当時うちの家はまだブラウン管のテレビ1台で録画もできなかった)、親がいない時間や、夜中にこっそり起きて動画を見ていた。




2008~9年といえば嵐ブーム。
周りの友達とも嵐の話で持ちきりになった。話の内容も「相葉ちゃんかわいかったね」「翔くんのドラマ面白いよね」とか、プラスの内容になっていた。


ついに家のテレビで、少しずつ見るようになった。偶然を装っていたので、初めは勝手にチャンネルを変えられたりもしたが、そのうち両親も察してきたのか、「嵐好きなの?」と聞いてきた。
お小遣いを貯めて嵐のベストアルバムを買い、勝手に車のハードディスクに取り込んだ。家族で出かける際、偶然を装って嵐がかかるようにしたりもした。いつ変えられるかと毎回ビクビクした。




そんな時ふと、よく世間で否定されがちなアニメオタクと呼ばれる人たちや、学校でマイノリティ扱いされていたV系ファンの友だちのこと、そしてかつての自分が叩いていたアイドルオタクのことを思った。


好きなものを否定されたり、決めつけられたりすることが、どんなに辛くて苦しいことなのか。


聞いてもいないのに「○○って××と付き合ってるらしいじゃん」「☆☆って性格悪そうだよね」と言われた時のやるせない気持ち。


ただなにかを好きなだけで「気持ち悪い」「どうかしている」と後ろ指をさされ、ネタにされ、下に見られること。




それってマイナス方向の効果しか産まないんだよね。


言われた方はもちろん少なからず悲しいし、言った方は気づかないうちに誰かを傷つけて遠ざけている。繰り返しているうちにマイナス発言で盛り上がることしかできなくなる。




私はジャニヲタになってはじめて、周りを見ることができた。
お笑いが好きな人、マンガが好きな人、相撲が好きな人、電車が好きな人、駅伝が好きな人…自分の周りには、それはそれは色んなものが好きな人がいた。
みんな好きの度合いも、それに関する行動の内容も、みんな違った。


でもそこで、自分が新たに興味を持つことができたこともあったし、聞いたことのない話が聞けるようになった。


たとえ「どうなの?」と思っても、それを言うべきかどうか考えられるようになった。言った後の相手の気持ちを考えるようになった。




すごく遅いし、だいぶ幼かったなと思うけど、それでも高校生で取り返せただけまだよかったかなと思う。
父親は50を超えた今でも、平気で他人を否定している。それはそれで仕方ないのかもな、と割り切ることもできるようになったが。




今でもジャニーズが好きだというと、聞いてもいないマイナス情報を教えてくれる人や、なんとなく見下す発言をしてくる人もいるけど、まあそれはそれでその人の感想なので、特にリアクションはしない。


ただ自分は、「ジャニーズとか(笑)」っていう反応する人よりは「へ~そうなんだね」っていう反応をしてくれる人の方が、それ以外の話もしやすいように思う。


逆に自分が相手の好きなものについて話を聞くときは否定だけは絶対にしないと決めているし、何より今までの人生の過程で色んなものに興味が出たので、相手の好きなものの話を聞くときに「は?」って思うことはまずなくなりました(笑)




もちろん、好きなものがそれぞれであるように、嫌いなものもそれぞれなわけで、それに対して話したいなら話せばいいと思う。


ただ私個人としては、相手の好きなものを否定することだけはしないという心構えができるようになったよ、という話でした。

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